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N国党をバッシングする人たちの傾向【論理的な思考力】 [その他の話]
NHKから国民を守る党の立花党首が、
「テレビを持っていればNHKと契約しなければならないが、受信料の支払いについては法的な義務はない」
と言っていましたが、あろうことか
「NHKと契約を締結した者は支払う義務がある」
という答弁書を閣議決定したという報道がなされていました。
その根拠としては、
「視聴の対価として料金を支払うとすることは、公共放送としての社会的使命を果たしていくことが困難になる」
だそうです。
⇒引用記事
さあ、これを読んでどう思われますか?
うんうん、NHKには公共放送としての社会的使命があるんだから、ちゃんと受信料を納めないといけないね!
って、なりますか?
少なくとも私はなりません。
そりゃあそうです。例えば、
レストランに入って食事をしたのであれば、その対価として料金を支払わなくてはならない。
ですが、レストランに入って食事も何もしていないのであれば、料金を支払う理由はありません。
受けてもいないサービスに対して何で料金を支払うんですか?
公共放送としての社会的使命って何ですか?
公共放送だからという理由だけで、毎月なんであんな高い受信料支払わないといけないのですか?
そんな不条理を通そうとするから、NHKから国民を守る党をバッシングする人たちの言い分は総じて論理的な根拠に欠落しています。
例えば、某アルピニストは、N国党の立花氏に対して
「あれが政治家のすることか?」
とバッシングしていますが、じゃあ政治家のすることって何ですか?ということです。
「ふざけてN国党に投票した人たちもたくさんいると思う」
などと、自分に票を投じてくれた有権者がテレビで侮辱されても、涼しい顔で静観しているのが政治家ですか?
はっきりと言いますが、有権者が侮辱されたのに何もしない人の方が、政治家として相応しくありません。
何となくの直観で、政治家は礼儀正しく常に冷静に規律を守って行動すべきだ、などというイメージで「あれが政治家のすることか?」などというのは、論理的でもなんでもありません。むしろ直観的です。
直観ではなくきちんと論理的に物事を考えてください。
少なくとも私には、NHKから国民を守る党の言い分の方が100倍は論理的に正しいと思います。
(100倍という数字には何の根拠もありませんが(笑))
かなり久しぶりの記事投稿になりましたが、どうしても気になりましたので、本ブログの趣旨とは異なるかもしれませんが、投稿させていただきました。
「テレビを持っていればNHKと契約しなければならないが、受信料の支払いについては法的な義務はない」
と言っていましたが、あろうことか
「NHKと契約を締結した者は支払う義務がある」
という答弁書を閣議決定したという報道がなされていました。
その根拠としては、
「視聴の対価として料金を支払うとすることは、公共放送としての社会的使命を果たしていくことが困難になる」
だそうです。
⇒引用記事
さあ、これを読んでどう思われますか?
うんうん、NHKには公共放送としての社会的使命があるんだから、ちゃんと受信料を納めないといけないね!
って、なりますか?
少なくとも私はなりません。
そりゃあそうです。例えば、
レストランに入って食事をしたのであれば、その対価として料金を支払わなくてはならない。
ですが、レストランに入って食事も何もしていないのであれば、料金を支払う理由はありません。
受けてもいないサービスに対して何で料金を支払うんですか?
公共放送としての社会的使命って何ですか?
公共放送だからという理由だけで、毎月なんであんな高い受信料支払わないといけないのですか?
そんな不条理を通そうとするから、NHKから国民を守る党をバッシングする人たちの言い分は総じて論理的な根拠に欠落しています。
例えば、某アルピニストは、N国党の立花氏に対して
「あれが政治家のすることか?」
とバッシングしていますが、じゃあ政治家のすることって何ですか?ということです。
「ふざけてN国党に投票した人たちもたくさんいると思う」
などと、自分に票を投じてくれた有権者がテレビで侮辱されても、涼しい顔で静観しているのが政治家ですか?
はっきりと言いますが、有権者が侮辱されたのに何もしない人の方が、政治家として相応しくありません。
何となくの直観で、政治家は礼儀正しく常に冷静に規律を守って行動すべきだ、などというイメージで「あれが政治家のすることか?」などというのは、論理的でもなんでもありません。むしろ直観的です。
直観ではなくきちんと論理的に物事を考えてください。
少なくとも私には、NHKから国民を守る党の言い分の方が100倍は論理的に正しいと思います。
(100倍という数字には何の根拠もありませんが(笑))
かなり久しぶりの記事投稿になりましたが、どうしても気になりましたので、本ブログの趣旨とは異なるかもしれませんが、投稿させていただきました。
悪魔の証明の乱用?【リーガルV痴漢冤罪事件】 [数学研究室【一般向け】]
最近ドラマなどで「悪魔の証明」という言葉が,多くとは言わないまでも,たまに耳する程度に聞くようになりました。
悪魔の証明とは,古くは「悪魔が存在しないこと」を証明することは不可能だと言われたことが始まりです。
悪魔が存在しないことをどうやって証明したらよいか考えてみてください。
悪魔を実際に見たという人がいなかったとしても,それだけで悪魔が存在しないことの証明にはならないのです。
悪魔は本当はいるのに,単に見つかっていないだけという可能性もあるわけですからね。
つまり「存在する」ということを証明するよりも,「存在しない」ことを証明する方がはるかに困難であるということです。
存在することの証明は,実際に見つければそれで終わりですからね。
まあ,悪魔を実際に見つけることも不可能な気はしますが,そうではなく,方法的に「存在すること」の証明は簡単でも,「存在しないこと」の証明はその方法自体が思いつかないという意味で困難だということです。
このような「ない」ことの証明を,「悪魔の証明」と呼ぶようになったわけですが,よくよく考えると「天使の証明」でも良かったのではないでしょうか。
なんとなく「悪魔の証明」というと,いかにも禍々しい印象から,「困難」や「不可能」という言葉が連想されるため,「天使の証明」ではなく「悪魔の証明」の方がしっくりくるのでしょうね。
さて,ドラマ「リーガルV」の初回で,痴漢の冤罪事件が扱われていましたが,その中で「悪魔の証明」という言葉が出てきました。
痴漢をしていないことの証明は「悪魔の証明」だそうです。
しかしこれは,若干「悪魔の証明」の乱用な気がしますね。
悪魔の証明とは,「存在しない」ということの証明であって,「していない」ということの証明ではないはずです。
そもそも,痴漢をしていないことを証明することは難しいと言いますが,よくよく考えてみてください。
痴漢をされたことの証明も難しくないですか??
痴漢をしていない証明が悪魔の証明であるのなら,痴漢をされたことの証明も悪魔の証明です。
どちらも証明することは困難ですからね。
そうではなく,やはり本来の「存在しない」ことの証明を悪魔の証明と呼ぶべきです。
「した」「していない」の証明ではないのです。
よくドラマの裁判で,「痴漢をしていないことを証明できますか?」と聞きますが,「痴漢をされたことを証明できますか?」は聞いたことがありません。
痴漢の被害者は自分が痴漢されたと主張するだけで証拠の提出を求められることはありませんよね。しかし,なぜ加害者(冤罪であっても)の方は痴漢をしていないと主張しても信じてもらえずに証拠を要求されるのでしょう?
もちろんこれは,被害者を擁護するという立場に立ってのことでしょう。
例えば,「家に泥棒が入りました」と警察に届けて,「泥棒に入られた証拠はありますか?」などと聞かれることなんてありませんよね。
一般的に被害者の供述は根拠もなく信じられるものなのです。
ですが,痴漢の冤罪を考えると,一方的に被害者の供述を信じるだけで良いのか,疑問に感じますね。
悪魔の証明とは,古くは「悪魔が存在しないこと」を証明することは不可能だと言われたことが始まりです。
悪魔が存在しないことをどうやって証明したらよいか考えてみてください。
悪魔を実際に見たという人がいなかったとしても,それだけで悪魔が存在しないことの証明にはならないのです。
悪魔は本当はいるのに,単に見つかっていないだけという可能性もあるわけですからね。
つまり「存在する」ということを証明するよりも,「存在しない」ことを証明する方がはるかに困難であるということです。
存在することの証明は,実際に見つければそれで終わりですからね。
まあ,悪魔を実際に見つけることも不可能な気はしますが,そうではなく,方法的に「存在すること」の証明は簡単でも,「存在しないこと」の証明はその方法自体が思いつかないという意味で困難だということです。
このような「ない」ことの証明を,「悪魔の証明」と呼ぶようになったわけですが,よくよく考えると「天使の証明」でも良かったのではないでしょうか。
なんとなく「悪魔の証明」というと,いかにも禍々しい印象から,「困難」や「不可能」という言葉が連想されるため,「天使の証明」ではなく「悪魔の証明」の方がしっくりくるのでしょうね。
さて,ドラマ「リーガルV」の初回で,痴漢の冤罪事件が扱われていましたが,その中で「悪魔の証明」という言葉が出てきました。
痴漢をしていないことの証明は「悪魔の証明」だそうです。
しかしこれは,若干「悪魔の証明」の乱用な気がしますね。
悪魔の証明とは,「存在しない」ということの証明であって,「していない」ということの証明ではないはずです。
そもそも,痴漢をしていないことを証明することは難しいと言いますが,よくよく考えてみてください。
痴漢をされたことの証明も難しくないですか??
痴漢をしていない証明が悪魔の証明であるのなら,痴漢をされたことの証明も悪魔の証明です。
どちらも証明することは困難ですからね。
そうではなく,やはり本来の「存在しない」ことの証明を悪魔の証明と呼ぶべきです。
「した」「していない」の証明ではないのです。
よくドラマの裁判で,「痴漢をしていないことを証明できますか?」と聞きますが,「痴漢をされたことを証明できますか?」は聞いたことがありません。
痴漢の被害者は自分が痴漢されたと主張するだけで証拠の提出を求められることはありませんよね。しかし,なぜ加害者(冤罪であっても)の方は痴漢をしていないと主張しても信じてもらえずに証拠を要求されるのでしょう?
もちろんこれは,被害者を擁護するという立場に立ってのことでしょう。
例えば,「家に泥棒が入りました」と警察に届けて,「泥棒に入られた証拠はありますか?」などと聞かれることなんてありませんよね。
一般的に被害者の供述は根拠もなく信じられるものなのです。
ですが,痴漢の冤罪を考えると,一方的に被害者の供述を信じるだけで良いのか,疑問に感じますね。
公立の子は強い【給湯器が壊れて水しか出なくなりました】 [日常]
先週の日曜から給湯器が壊れて我が家は水しか出なくなりました・・・
当然シャワーも水しか出なくなりまして。
アパートに住んでいるのですが,なかなか給湯器の交換まで大変ですよ。
ようやく次の日曜日に新しい給湯器に交換してもらえる手はずになったのですが,壊れてから給湯器交換まで丸まる一週間。
自分の持ち家だったら,多分直接業者に連絡をして早ければ当日にでも交換してもらえるのでしょうけれど,アパートの場合,アパートの設備は給湯器も含めて大家さんの所有物なので,壊れたからと言って勝手に交換してはいけないことになっているのです。
時系列に交換までの流れをまとめてみます。
日曜
昼,突然水道からお湯が出なくなる。
夜,不動産屋のカスタマーセンターに壊れたことを報告する。
月曜
朝,不動産屋から状況確認の電話がくる。
夕方,不動産屋から連絡を受けた業者から連絡がくる。
状況の確認も含めて給湯器の点検に一度くるとのことで,水曜の夕方に来てもらうことになる。
水曜
夕方,業者がやってきて給湯器の点検をする。
経年劣化で壊れていることを確認する。(初めから電話で壊れたと言っているのだが)
「明日の朝一で不動産屋に電話しますので,交換は確認が取れ次第ですね」
とのこと。
木曜
夕方になっても連絡がこないので,不動産屋に電話をする。
朝一で連絡すると言っていたにも関わらず,業者からまだ不動産屋に連絡を入れていなかったことが判明。
いったんオーナー(大家さん)に連絡をしてからまた電話しますとのことで,いったん電話を切る。
1時間後くらいに不動産屋から連絡がくる。
オーナーの許可が得られたので,すぐに業者に連絡をして,私まで電話をするようにするとのこと。
金曜
夕方になってもやはり連絡は来ず。こちらから業者に電話をする。
ようやく工事の日程が決まり,今度の日曜日に給湯器の交換をすることが決まる。
(こちらとしてはすぐにでも交換してほしいのだが)
このような流れでした。
本当に面倒くさかったです。
給湯器交換するだけでも
不動産屋のカスタマーセンター,不動産屋,工事業者,オーナー(大家さん)
と,4か所も連絡を取り合わないといけないわけで,どこかで滞れば話は進みません。
なのでこちらからどんどん連絡をしていかないと,なかなか話が進まないのですね。
なんでそんなに急いでいるのか?
そんなのは当然です。
シャワーも水しか出ないからです!
近くに銭湯もないので,もう水浴びするしかないですよ(笑)
真冬じゃなかったからまだ良いものの,もう10月です。
水浴びは辛いですよ。
まあ,ヤカンでお湯を沸かしたりすれば少しはマシなのかもしれませんが,面倒だったので。
一度試してみてください。
シャワーで水を浴びるのはなかなかですよ。。
まず足元から水の温度に慣らしていって,頭を先に洗って,最後に全身。
浴びている最中,小学校のプールを思い出しました。
私は小学校からずっと公立の学校だったので,公立の子だったんですね。
今は全国的にはどうか分かりませんが,公立の小学校のプールといえば,水しか出ないシャワーです(笑)
あと,プールに入る前に塩素の入った水の浴槽に肩まで入るというのもありましたね。
おそらく消毒の意味があったのでしょうが,あれはかなり辛かった。
でもそのおかげか分かりませんが,意外と今でも水のシャワーに堪えられるんですね。
そりゃあもちろん辛いですが,慣れれば意外といけます。
でもまあ,給湯器が壊れたからと言って水のシャワーを浴びるのは特に心臓の弱い方は真似しない方が良いと思います。
当然シャワーも水しか出なくなりまして。
アパートに住んでいるのですが,なかなか給湯器の交換まで大変ですよ。
ようやく次の日曜日に新しい給湯器に交換してもらえる手はずになったのですが,壊れてから給湯器交換まで丸まる一週間。
自分の持ち家だったら,多分直接業者に連絡をして早ければ当日にでも交換してもらえるのでしょうけれど,アパートの場合,アパートの設備は給湯器も含めて大家さんの所有物なので,壊れたからと言って勝手に交換してはいけないことになっているのです。
時系列に交換までの流れをまとめてみます。
日曜
昼,突然水道からお湯が出なくなる。
夜,不動産屋のカスタマーセンターに壊れたことを報告する。
月曜
朝,不動産屋から状況確認の電話がくる。
夕方,不動産屋から連絡を受けた業者から連絡がくる。
状況の確認も含めて給湯器の点検に一度くるとのことで,水曜の夕方に来てもらうことになる。
水曜
夕方,業者がやってきて給湯器の点検をする。
経年劣化で壊れていることを確認する。(初めから電話で壊れたと言っているのだが)
「明日の朝一で不動産屋に電話しますので,交換は確認が取れ次第ですね」
とのこと。
木曜
夕方になっても連絡がこないので,不動産屋に電話をする。
朝一で連絡すると言っていたにも関わらず,業者からまだ不動産屋に連絡を入れていなかったことが判明。
いったんオーナー(大家さん)に連絡をしてからまた電話しますとのことで,いったん電話を切る。
1時間後くらいに不動産屋から連絡がくる。
オーナーの許可が得られたので,すぐに業者に連絡をして,私まで電話をするようにするとのこと。
金曜
夕方になってもやはり連絡は来ず。こちらから業者に電話をする。
ようやく工事の日程が決まり,今度の日曜日に給湯器の交換をすることが決まる。
(こちらとしてはすぐにでも交換してほしいのだが)
このような流れでした。
本当に面倒くさかったです。
給湯器交換するだけでも
不動産屋のカスタマーセンター,不動産屋,工事業者,オーナー(大家さん)
と,4か所も連絡を取り合わないといけないわけで,どこかで滞れば話は進みません。
なのでこちらからどんどん連絡をしていかないと,なかなか話が進まないのですね。
なんでそんなに急いでいるのか?
そんなのは当然です。
シャワーも水しか出ないからです!
近くに銭湯もないので,もう水浴びするしかないですよ(笑)
真冬じゃなかったからまだ良いものの,もう10月です。
水浴びは辛いですよ。
まあ,ヤカンでお湯を沸かしたりすれば少しはマシなのかもしれませんが,面倒だったので。
一度試してみてください。
シャワーで水を浴びるのはなかなかですよ。。
まず足元から水の温度に慣らしていって,頭を先に洗って,最後に全身。
浴びている最中,小学校のプールを思い出しました。
私は小学校からずっと公立の学校だったので,公立の子だったんですね。
今は全国的にはどうか分かりませんが,公立の小学校のプールといえば,水しか出ないシャワーです(笑)
あと,プールに入る前に塩素の入った水の浴槽に肩まで入るというのもありましたね。
おそらく消毒の意味があったのでしょうが,あれはかなり辛かった。
でもそのおかげか分かりませんが,意外と今でも水のシャワーに堪えられるんですね。
そりゃあもちろん辛いですが,慣れれば意外といけます。
でもまあ,給湯器が壊れたからと言って水のシャワーを浴びるのは特に心臓の弱い方は真似しない方が良いと思います。
NHKは最高裁判所の判決も無視するそうです [その他の話]
ここ最近ブログの更新が止まっていましたが,どうしてもこれだけは拡散させてほしいと思い記事にしました。
NHKから国民を守る党の代表である立花孝志さんをご存知でしょうか?
元NHKの職員で,NHKの不正を内部告発して退職された後,NHKの不正をYouTubeで発信し続けている方です。
現在は葛飾区議会議員をされている方で,「NHKをぶっ壊す」のスローガンで活動を続けています。
過激な言動もあるのですが,よくよく聞くと非常に真っ当な事を言っているのが分かります。
世間ではNHKは非常に誠実なTV放送局であるという印象が強いと思います。
ですが,よくよく考えてみてください。
放送電波を垂れ流しておいて,受信契約をしていない家に押しかけて無理矢理契約を取り付けて,毎月1,260円も全国の各世帯からむしり取っているのです。
これはとんでもない額ですよ。
しかも契約の仕方がえげつない。
NHKの集金人の素行の悪さはよく聞きますよね。
さらには,地上契約で良い世帯にも,契約の際に騙して高額な衛星契約を取り付けているという事も行われているそうです。
一体どうして,NHKは誠実な放送局などと言えるのでしょうか?
さらに最近,最高裁判所で受信料について判決が出たにも関わらず,それを無視して高額な請求を送りつけるという暴挙まで犯しているということです。
立花孝志さんの言っている通り,どう考えてもNHKはおかしいですよ。
おそらくNHK内部の職員も,自分たちがおかしな事をしていると気づいていないのではないでしょうか。
ぜひ皆さんにもそれを知っていただきたく,今回記事にさせていただきました。
以下に立花孝志さんの動画を貼らせていただきましたので,みなさんも共有していただければと思います。
NHKから国民を守る党の代表である立花孝志さんをご存知でしょうか?
元NHKの職員で,NHKの不正を内部告発して退職された後,NHKの不正をYouTubeで発信し続けている方です。
現在は葛飾区議会議員をされている方で,「NHKをぶっ壊す」のスローガンで活動を続けています。
過激な言動もあるのですが,よくよく聞くと非常に真っ当な事を言っているのが分かります。
世間ではNHKは非常に誠実なTV放送局であるという印象が強いと思います。
ですが,よくよく考えてみてください。
放送電波を垂れ流しておいて,受信契約をしていない家に押しかけて無理矢理契約を取り付けて,毎月1,260円も全国の各世帯からむしり取っているのです。
これはとんでもない額ですよ。
しかも契約の仕方がえげつない。
NHKの集金人の素行の悪さはよく聞きますよね。
さらには,地上契約で良い世帯にも,契約の際に騙して高額な衛星契約を取り付けているという事も行われているそうです。
一体どうして,NHKは誠実な放送局などと言えるのでしょうか?
さらに最近,最高裁判所で受信料について判決が出たにも関わらず,それを無視して高額な請求を送りつけるという暴挙まで犯しているということです。
立花孝志さんの言っている通り,どう考えてもNHKはおかしいですよ。
おそらくNHK内部の職員も,自分たちがおかしな事をしていると気づいていないのではないでしょうか。
ぜひ皆さんにもそれを知っていただきたく,今回記事にさせていただきました。
以下に立花孝志さんの動画を貼らせていただきましたので,みなさんも共有していただければと思います。
映画ソラノカナタ感想 [日常]
久しぶりに日常の話題を書きます。
今日,「モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ」を観てきました。
私はゲームのモンスターストライクも好きで結構やっていたり,YouTubeで配信されているモンストアニメもほぼすべて見ています。
個人的にはモンストは結構好きなので,今回の映画にも期待していたのですが,残念ながら期待に反して,ちょっとあれは無いなあという感想です(笑)
ネット上で評価の低い映画でも,私はだいたい楽しく映画は観れる方なんです。
映画の批判をすることなんてほぼ無いのですが,今回ばかりはちょっと酷かった。
ちょっと突っ込みどころが多すぎなのですが,いくつか思いついたことを書きます。
〇主人公とヒロインに全く魅力がない
主人公のカナタと,ヒロインのソラに申し訳ないくらい全く魅力を感じませんでした。
カナタはセカオワのボーカルみたいなコートを着ている以外まったくもって特徴が無い見た目。
声も声優さんには申し訳ないですが,個性のない記憶に残らない声でした。
ソラは,「誰だよw」と思わず突っ込みたくなるほど謎のモンスター。
ただ,髪の色が空色というだけでソラと名付けられただけで,見た目も声もやはり全く魅力がない。
名前がなくマナに「ソラ」と名付けられたという以外,出自もまったく語られていないので,ただ髪の色が水色の謎の少女という印象のまま最初から最後まで全く魅力も感じないし,だから感情移入もできずに終わってしまった感じがする。
申し訳ないが,途中に一瞬出てきたルシファーの方が100倍くらい魅力的でした(笑)
そういう意味では,モンストに元々いるモンスター達の方が主人公たちよりも遥かに個性的だし魅力的なキャラクターなんですよね。だから映画オリジナルのキャラクターとなると,難しいのかもしれません。
〇モンストである必要は?
そもそも,ストーリー的にモンストである必要はなかったのではないでしょうか?
YouTubeのモンストアニメに登場したマナの子どもとしてカナタが登場しますが,モンストである必要は全くない。ストライクショットも全くなかったですし(笑)
ちょいちょい色々なモンストのモンスターが登場しますが,別にそのモンスターたちが映画のストーリーに直接的に関わるわけでもないですし。
映画オリジナルのキャラクター「ソラ」と「カナタ」が元々モンストにはいないキャラなので,本当にモンストである必要はあったのか謎です。
〇ソラとカナタの関係
ソラとカナタが最後は結ばれるわけですが,いったいどこにソラとカナタの友情が深まるシーンや,恋愛感情が生まれるようなストーリーがあったのでしょうか?
突然出てきたモンスターソラとカナタの間に友情や愛上が芽生える必然性がまったくなく,なぜか最後は結ばれるという謎すぎる展開。
ちょっとおかしいです。
〇絵が・・・
YouTubeのモンストアニメ第二期の初期に,アニメ制作会社が変わったのかよく分かりませんが,変な3D風の作画になったんですよね。
表情がノッペリしていて,非常に不評だったのですが,なぜか今回の映画の作画も,そのノッペリ3Dになっていました。
モンストアニメ(第一期)は特にストーリー的にも,キャラクターや作画的にも非常に良かったのですが,今回の映画は本当にハズレだったなという感想です。
どうせなら,モンストアニメの主人公,ホムラレン(漢字を忘れました)の未来の話とかにした方が,遥かに良かったのではないでしょうか。
今日,「モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ」を観てきました。
私はゲームのモンスターストライクも好きで結構やっていたり,YouTubeで配信されているモンストアニメもほぼすべて見ています。
個人的にはモンストは結構好きなので,今回の映画にも期待していたのですが,残念ながら期待に反して,ちょっとあれは無いなあという感想です(笑)
ネット上で評価の低い映画でも,私はだいたい楽しく映画は観れる方なんです。
映画の批判をすることなんてほぼ無いのですが,今回ばかりはちょっと酷かった。
ちょっと突っ込みどころが多すぎなのですが,いくつか思いついたことを書きます。
〇主人公とヒロインに全く魅力がない
主人公のカナタと,ヒロインのソラに申し訳ないくらい全く魅力を感じませんでした。
カナタはセカオワのボーカルみたいなコートを着ている以外まったくもって特徴が無い見た目。
声も声優さんには申し訳ないですが,個性のない記憶に残らない声でした。
ソラは,「誰だよw」と思わず突っ込みたくなるほど謎のモンスター。
ただ,髪の色が空色というだけでソラと名付けられただけで,見た目も声もやはり全く魅力がない。
名前がなくマナに「ソラ」と名付けられたという以外,出自もまったく語られていないので,ただ髪の色が水色の謎の少女という印象のまま最初から最後まで全く魅力も感じないし,だから感情移入もできずに終わってしまった感じがする。
申し訳ないが,途中に一瞬出てきたルシファーの方が100倍くらい魅力的でした(笑)
そういう意味では,モンストに元々いるモンスター達の方が主人公たちよりも遥かに個性的だし魅力的なキャラクターなんですよね。だから映画オリジナルのキャラクターとなると,難しいのかもしれません。
〇モンストである必要は?
そもそも,ストーリー的にモンストである必要はなかったのではないでしょうか?
YouTubeのモンストアニメに登場したマナの子どもとしてカナタが登場しますが,モンストである必要は全くない。ストライクショットも全くなかったですし(笑)
ちょいちょい色々なモンストのモンスターが登場しますが,別にそのモンスターたちが映画のストーリーに直接的に関わるわけでもないですし。
映画オリジナルのキャラクター「ソラ」と「カナタ」が元々モンストにはいないキャラなので,本当にモンストである必要はあったのか謎です。
〇ソラとカナタの関係
ソラとカナタが最後は結ばれるわけですが,いったいどこにソラとカナタの友情が深まるシーンや,恋愛感情が生まれるようなストーリーがあったのでしょうか?
突然出てきたモンスターソラとカナタの間に友情や愛上が芽生える必然性がまったくなく,なぜか最後は結ばれるという謎すぎる展開。
ちょっとおかしいです。
〇絵が・・・
YouTubeのモンストアニメ第二期の初期に,アニメ制作会社が変わったのかよく分かりませんが,変な3D風の作画になったんですよね。
表情がノッペリしていて,非常に不評だったのですが,なぜか今回の映画の作画も,そのノッペリ3Dになっていました。
モンストアニメ(第一期)は特にストーリー的にも,キャラクターや作画的にも非常に良かったのですが,今回の映画は本当にハズレだったなという感想です。
どうせなら,モンストアニメの主人公,ホムラレン(漢字を忘れました)の未来の話とかにした方が,遥かに良かったのではないでしょうか。
ここが変だよ算数教育【長方形と正方形】 [算数教育の話]
今日の出来事です。
ある先生が算数のテストの丸付けをしていたのですが,その中に次のような問題がありました。
いくつか四角形がかかれており,
「図の中から,次の形を選びましょう。」
「1.正方形」
「2.長方形」
図の中には正方形や長方形,それ以外の四角形が8つほどかかれていて,それぞれア~クまで記号がふられていました。
エはいわゆる正方形だったのですが,私はその先生にこう聞きました。
「エだって長方形じゃない?」
すると「エは正方形ですよね?」と言うので,
「だってエの四角形は4つの角が全部直角になってるよね? 長方形って,4つの角がみな直角な四角形なんだから,エだって長方形だよ?」
と教えたところ,若干考えた後に,
「あ~,そう言われればそうですね!」
教科書にだって,長方形の定義には角が4つとも直角になっていれば良いと書かれているのだから,何で正方形も長方形に選んではいけないのか,明らかにおかしいのです。
明らかにおかしいのに,日本の教員はそれに気づいていない人が多い。
私としては,教員に責任はないと思います。
数学が得意な人ばかりではないからです。
私だったら,逆に社会や国語は苦手なので,教科書におかしな事が書いてあったとしても,それを信じるしかないですからね。
責任があるとすれば,日本の教育出版社や,文部科学省なのだと思います。
先日,文部科学省の数学離れがテレビ番組でも取り上げられていましたが,ちゃんと数学を理解している人がそもそも少ないのではないかと思います。
念のために言うと,私は別に文系の人を馬鹿にしているわけではありません。
文系科目が得意な人は得意な人で,理系の人が知らないような知識や教養や豊かな感性を身に着けているでしょうし。
算数教育全体でも数学離れは進んでいるような気がしています。
いわゆる,
「算数は得意だけど,数学は全然分からない」
という人ですね。
そういった人たちは,算数の中だけで話が全て完結してしまっていますから,集合論的な発想は必要ないのです。
なので,集合的に正方形が長方形の部分集合であるという見方をそもそもしていないのです。
全員がそうというわけではありませんが,気づいていたとしても,算数教育全体がそのようなおかしな問題を放置してしまっているので,どうしようもないといったところが本当のところだと思います。
ある先生が算数のテストの丸付けをしていたのですが,その中に次のような問題がありました。
いくつか四角形がかかれており,
「図の中から,次の形を選びましょう。」
「1.正方形」
「2.長方形」
図の中には正方形や長方形,それ以外の四角形が8つほどかかれていて,それぞれア~クまで記号がふられていました。
エはいわゆる正方形だったのですが,私はその先生にこう聞きました。
「エだって長方形じゃない?」
すると「エは正方形ですよね?」と言うので,
「だってエの四角形は4つの角が全部直角になってるよね? 長方形って,4つの角がみな直角な四角形なんだから,エだって長方形だよ?」
と教えたところ,若干考えた後に,
「あ~,そう言われればそうですね!」
教科書にだって,長方形の定義には角が4つとも直角になっていれば良いと書かれているのだから,何で正方形も長方形に選んではいけないのか,明らかにおかしいのです。
明らかにおかしいのに,日本の教員はそれに気づいていない人が多い。
私としては,教員に責任はないと思います。
数学が得意な人ばかりではないからです。
私だったら,逆に社会や国語は苦手なので,教科書におかしな事が書いてあったとしても,それを信じるしかないですからね。
責任があるとすれば,日本の教育出版社や,文部科学省なのだと思います。
先日,文部科学省の数学離れがテレビ番組でも取り上げられていましたが,ちゃんと数学を理解している人がそもそも少ないのではないかと思います。
念のために言うと,私は別に文系の人を馬鹿にしているわけではありません。
文系科目が得意な人は得意な人で,理系の人が知らないような知識や教養や豊かな感性を身に着けているでしょうし。
算数教育全体でも数学離れは進んでいるような気がしています。
いわゆる,
「算数は得意だけど,数学は全然分からない」
という人ですね。
そういった人たちは,算数の中だけで話が全て完結してしまっていますから,集合論的な発想は必要ないのです。
なので,集合的に正方形が長方形の部分集合であるという見方をそもそもしていないのです。
全員がそうというわけではありませんが,気づいていたとしても,算数教育全体がそのようなおかしな問題を放置してしまっているので,どうしようもないといったところが本当のところだと思います。
1~9の整数を,どう足したり引いたりしても答えは必ず奇数【解説編】 [算数研究室【小学生向け】]
先日出した問題ですが,
1~9の整数をどう足したり引いたりしても答えは必ず奇数になる
ということはなぜかという問題でした。
例えば,
1+4-2+3+9-8+5-6+7=13(奇数)
というように,どのような順番でどのように足したり引いたりしても,答えは必ず奇数になります。
では,以下にその解説を書いていきます。
〇偶数・奇数の個数を使った証明
1~9までの整数は,
偶数:2,4,6,8
奇数:1,3,5,7,9
と,偶数と奇数に分けられます。
つまり,偶数は4個,奇数は5個あります。
偶数±偶数=偶数
偶数±奇数=奇数
奇数±奇数=偶数
という性質から,(必要なら計算の順序を入れ替えることで)4つの偶数から出てくる答えは偶数,5つの奇数から出てくる答えは奇数になることが分かるので,そこから出てきた偶数と奇数を足す,または引くと,
偶数±奇数=奇数
なので奇数になることが分かります。
ただ,この証明はきちんと書こうと思うと非常に長ったらしくなってしまいますね。
なので上の証明の中でも「分かります」というようにはぐらかした表現を使ってしまいましたが,直感的に理解できれば十分かなと思います。
この考えと比べ,非常にシンプルかつ分かりやすいのが次の証明です。
私の教え子も,このように考えていました。
〇全体の和から考える証明
1~9まですべて足すと
1+2+3+4+5+6+7+8+9=45(奇数)・・・①
です。ここから,どれかの「+」を「-」に変えることを考えます。
1~9の中のどれかの整数nをひき算にしたとします。するとその答えは,足していた数を引くことにしたのですから,すべて足した場合と比べ,
45-n×2
のようにn2つ分小さくなるはずです。
n×2は2の倍数なので偶数です。
45(奇数)から偶数を引くと必ず奇数になります。
同様に,①の式の「+」をいくつ「-」に変えたところで,答えは45(奇数)から偶数を引いた数になるはずなので,答えは必ず奇数になります。
この証明中の,「45-n×2」の,n2つ分小さくなることからその答えは奇数になるという考え方は非常に素晴らしい考えだなと思いました。
1~9の整数をどう足したり引いたりしても答えは必ず奇数になる
ということはなぜかという問題でした。
例えば,
1+4-2+3+9-8+5-6+7=13(奇数)
というように,どのような順番でどのように足したり引いたりしても,答えは必ず奇数になります。
では,以下にその解説を書いていきます。
〇偶数・奇数の個数を使った証明
1~9までの整数は,
偶数:2,4,6,8
奇数:1,3,5,7,9
と,偶数と奇数に分けられます。
つまり,偶数は4個,奇数は5個あります。
偶数±偶数=偶数
偶数±奇数=奇数
奇数±奇数=偶数
という性質から,(必要なら計算の順序を入れ替えることで)4つの偶数から出てくる答えは偶数,5つの奇数から出てくる答えは奇数になることが分かるので,そこから出てきた偶数と奇数を足す,または引くと,
偶数±奇数=奇数
なので奇数になることが分かります。
ただ,この証明はきちんと書こうと思うと非常に長ったらしくなってしまいますね。
なので上の証明の中でも「分かります」というようにはぐらかした表現を使ってしまいましたが,直感的に理解できれば十分かなと思います。
この考えと比べ,非常にシンプルかつ分かりやすいのが次の証明です。
私の教え子も,このように考えていました。
〇全体の和から考える証明
1~9まですべて足すと
1+2+3+4+5+6+7+8+9=45(奇数)・・・①
です。ここから,どれかの「+」を「-」に変えることを考えます。
1~9の中のどれかの整数nをひき算にしたとします。するとその答えは,足していた数を引くことにしたのですから,すべて足した場合と比べ,
45-n×2
のようにn2つ分小さくなるはずです。
n×2は2の倍数なので偶数です。
45(奇数)から偶数を引くと必ず奇数になります。
同様に,①の式の「+」をいくつ「-」に変えたところで,答えは45(奇数)から偶数を引いた数になるはずなので,答えは必ず奇数になります。
この証明中の,「45-n×2」の,n2つ分小さくなることからその答えは奇数になるという考え方は非常に素晴らしい考えだなと思いました。
1~9の整数を足したり引いたりしても答えは必ず奇数 [算数研究室【小学生向け】]
昔,ある教え子が整数に関して面白いきまりを発見しました。
当時その子は6年生だったのですが,非常にシンプルで考えてみると面白いきまりです。
1~9の整数1つずつと,たし算(+),ひき算(-)で式を作ると,必ず答えは奇数になります。
例えば,
3+2-1+9-7+6+5-4+8=21
9+7-2+1-3-4+5+6+8=27
など,確かに奇数になりますね。
なぜだか説明できるでしょうか?
明日以降解説をします。
当時その子は6年生だったのですが,非常にシンプルで考えてみると面白いきまりです。
1~9の整数1つずつと,たし算(+),ひき算(-)で式を作ると,必ず答えは奇数になります。
例えば,
3+2-1+9-7+6+5-4+8=21
9+7-2+1-3-4+5+6+8=27
など,確かに奇数になりますね。
なぜだか説明できるでしょうか?
明日以降解説をします。
角柱・円柱の体積の誤解【なぜ底面積×高さなのか?】 [算数教育の話]
小学校の算数で,特に算数が得意で塾などですでに角柱・円柱の体積の公式を学習している子どもに多い勘違いがあります。
角柱・円柱の体積=底面積×高さ
なのですが,なぜ底面積×高さで求められるのでしょうか?
と問うと,大体が誤った説明をしています。
どういった理解かというと,例えば円柱であれば,
「円形の紙を積み重ねると円柱ができるから」
「底面は円だから,それを高さの分だけ引き伸ばしてやれば,体積になるから」
といった理解の仕方です。
例えば,円盤のCDは一枚一枚は薄くても,それを積み重ねれば高さが出来て円柱になるようなイメージですね。
これは何となく積分の考えに通じるものがありますが,実はこの考えでは正しく円柱の体積がなぜ「底面積×高さ」で求められるのかの説明にはなっていません。
なぜなら,いくら円柱を薄く輪切りにしたところで,それら1つひとつは「厚みの薄い円柱」に変わりないからです。
下の図を見てください。
これは,底面の半径が2cm,高さが6cmの円柱を,0.5cmと0.1cmの厚みの輪切りにした図です。それぞれの場合で円柱の体積を求める式を考えてみます。(円周率は3.14とします)
(1)厚み0.5cmの輪切りにした場合,その輪切り12個分が元の円柱の体積なので,
(2×2×3.14×0.5)×12=75.36
(2)厚み0.1cmの輪切りにした場合,その輪切り60個分が元の円柱の体積なので,
(2×2×3.14×0.1)×60=75.36
気づきましたでしょうか?
式中で青くした部分に注目してもらいたいのですが,いくら厚みを薄くしたところで,その輪切り1つひとつの体積を求めるときに「底面積×高さ」を使っているのです。
なぜ円柱の体積は「底面積×高さ」で求められるのかを説明するのに,「円柱の体積=底面積×高さ」という公式を使ってしまっているのです。
説明したい事柄を説明の中で使ってしまっては,説明になりませんね。
このように,「円柱を薄い円盤が積み重なったもの」と見ても,それは「底面積×高さ」で体積が求められることの説明にはならないのです。
ただし,こんなことを小学生に説明したとしても,ほとんどの子は理解できませんよね。
なので小学校の教科書にも円柱の体積の公式に関しては何となくはぐらかしたような書き方をしているのです。
しかし,角柱・円柱の体積の公式は小学校で習ってそれ以降はきちんと考える機会がほとんどないため,大人でも大多数の人は何となく「底面積×高さ」という公式を知っているだけで,その公式の説明(証明)は難しいのではないでしょうか?
同じようなことが円の面積の公式でも言えますね。
円の面積の公式「半径×半径×円周率」も小学校で習いますが,小学校でしか習わないので大人になってもなぜ円の面積の公式が成り立つのか,きちんと説明することは難しいのです。
話を角柱・円柱の体積に戻しますが,上のように輪切りにしてその体積を求める考え方は,公式の説明には適しませんでしたが,考え方自体は数学的には重要な考え方です。
例えば角錐や円錐,回転体のように,輪切りにした時に断面の面積が変化するような立体の体積を求めるときには有効な考え方ですね。
それこそ積分をして体積を求めることが必要になりますからね。
角柱・円柱の体積=底面積×高さ
なのですが,なぜ底面積×高さで求められるのでしょうか?
と問うと,大体が誤った説明をしています。
どういった理解かというと,例えば円柱であれば,
「円形の紙を積み重ねると円柱ができるから」
「底面は円だから,それを高さの分だけ引き伸ばしてやれば,体積になるから」
といった理解の仕方です。
例えば,円盤のCDは一枚一枚は薄くても,それを積み重ねれば高さが出来て円柱になるようなイメージですね。
これは何となく積分の考えに通じるものがありますが,実はこの考えでは正しく円柱の体積がなぜ「底面積×高さ」で求められるのかの説明にはなっていません。
なぜなら,いくら円柱を薄く輪切りにしたところで,それら1つひとつは「厚みの薄い円柱」に変わりないからです。
下の図を見てください。
これは,底面の半径が2cm,高さが6cmの円柱を,0.5cmと0.1cmの厚みの輪切りにした図です。それぞれの場合で円柱の体積を求める式を考えてみます。(円周率は3.14とします)
(1)厚み0.5cmの輪切りにした場合,その輪切り12個分が元の円柱の体積なので,
(2×2×3.14×0.5)×12=75.36
(2)厚み0.1cmの輪切りにした場合,その輪切り60個分が元の円柱の体積なので,
(2×2×3.14×0.1)×60=75.36
気づきましたでしょうか?
式中で青くした部分に注目してもらいたいのですが,いくら厚みを薄くしたところで,その輪切り1つひとつの体積を求めるときに「底面積×高さ」を使っているのです。
なぜ円柱の体積は「底面積×高さ」で求められるのかを説明するのに,「円柱の体積=底面積×高さ」という公式を使ってしまっているのです。
説明したい事柄を説明の中で使ってしまっては,説明になりませんね。
このように,「円柱を薄い円盤が積み重なったもの」と見ても,それは「底面積×高さ」で体積が求められることの説明にはならないのです。
ただし,こんなことを小学生に説明したとしても,ほとんどの子は理解できませんよね。
なので小学校の教科書にも円柱の体積の公式に関しては何となくはぐらかしたような書き方をしているのです。
しかし,角柱・円柱の体積の公式は小学校で習ってそれ以降はきちんと考える機会がほとんどないため,大人でも大多数の人は何となく「底面積×高さ」という公式を知っているだけで,その公式の説明(証明)は難しいのではないでしょうか?
同じようなことが円の面積の公式でも言えますね。
円の面積の公式「半径×半径×円周率」も小学校で習いますが,小学校でしか習わないので大人になってもなぜ円の面積の公式が成り立つのか,きちんと説明することは難しいのです。
話を角柱・円柱の体積に戻しますが,上のように輪切りにしてその体積を求める考え方は,公式の説明には適しませんでしたが,考え方自体は数学的には重要な考え方です。
例えば角錐や円錐,回転体のように,輪切りにした時に断面の面積が変化するような立体の体積を求めるときには有効な考え方ですね。
それこそ積分をして体積を求めることが必要になりますからね。
線分の長さが変わってしまう!?【極限の不思議】 [数学研究室【一般向け】]
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