深い学びって?【細水保宏先生のお話から考える】 [算数教育の話]
今教育で,「深い学び」というのがひとつのキーワードになっていますね。
個人的には良い言葉だなと思いますが,いろいろな意味で,教育関係者の中でも捉えられています。
例えば,授業の中で,「あっ,こうすれば良かったんだ」などちょっとした気づきでも,学びが深まったと捉えることもできると言う方もいます。
どうやら,今まで「活動あって学びなし」の授業が目立つようになってきていたので,そこに「学び」を取り入れようとして,「深い学び」という言葉が登場したそうなんですね。
子どもはまあ楽しそうに取り組んでいましたが,学びはありませんでした。といった授業では,これからはだめだということですね(当たり前ですが)。
では,深い学びとは,算数ではどういうことなのか。
以前,算数教育の巨匠,細水保宏先生のお話を聞く機会があり,「深い学び」にはやや消極的な考えをお持ちだったとのことでした。
なぜかというと,「深い」というのは相対的に「深い」「浅い」があるのであって,何をもって「深い」というのか分からないからだそうです。
でも,ひとつ「深い」に基準を設けるならば,
「数学的な本質にどれだけ迫れたか」
ということのようです。
なるほど。例えば,問題を解くだけならば,公式を丸暗記して当てはめればいいだけですが,それだけだと浅い学びということですね。
ただ単に,「そういうことだったのか」といった気づきだけでは,やはり「深い学び」というのはやや抵抗があります。
だって,例えば7×6=42と計算するところを,7×6=42とすれば良かったことに気づけたとしましょう。
はたしてそれが,深い学びになったと言って良いのでしょうか?
単なる計算間違えが数学的な本質とはとても言えませんね。
ただ,問題は教師の方がどれだけ数学的な本質を理解しているか,問われることになっていくのではないかなと,個人的には思っています(笑)
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個人的には良い言葉だなと思いますが,いろいろな意味で,教育関係者の中でも捉えられています。
例えば,授業の中で,「あっ,こうすれば良かったんだ」などちょっとした気づきでも,学びが深まったと捉えることもできると言う方もいます。
どうやら,今まで「活動あって学びなし」の授業が目立つようになってきていたので,そこに「学び」を取り入れようとして,「深い学び」という言葉が登場したそうなんですね。
子どもはまあ楽しそうに取り組んでいましたが,学びはありませんでした。といった授業では,これからはだめだということですね(当たり前ですが)。
では,深い学びとは,算数ではどういうことなのか。
以前,算数教育の巨匠,細水保宏先生のお話を聞く機会があり,「深い学び」にはやや消極的な考えをお持ちだったとのことでした。
なぜかというと,「深い」というのは相対的に「深い」「浅い」があるのであって,何をもって「深い」というのか分からないからだそうです。
でも,ひとつ「深い」に基準を設けるならば,
「数学的な本質にどれだけ迫れたか」
ということのようです。
なるほど。例えば,問題を解くだけならば,公式を丸暗記して当てはめればいいだけですが,それだけだと浅い学びということですね。
ただ単に,「そういうことだったのか」といった気づきだけでは,やはり「深い学び」というのはやや抵抗があります。
だって,例えば7×6=42と計算するところを,7×6=42とすれば良かったことに気づけたとしましょう。
はたしてそれが,深い学びになったと言って良いのでしょうか?
単なる計算間違えが数学的な本質とはとても言えませんね。
ただ,問題は教師の方がどれだけ数学的な本質を理解しているか,問われることになっていくのではないかなと,個人的には思っています(笑)
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