SSブログ

悪魔の証明の乱用?【リーガルV痴漢冤罪事件】 [数学研究室【一般向け】]

最近ドラマなどで「悪魔の証明」という言葉が,多くとは言わないまでも,たまに耳する程度に聞くようになりました。

悪魔の証明とは,古くは「悪魔が存在しないこと」を証明することは不可能だと言われたことが始まりです。
悪魔が存在しないことをどうやって証明したらよいか考えてみてください。
悪魔を実際に見たという人がいなかったとしても,それだけで悪魔が存在しないことの証明にはならないのです。
悪魔は本当はいるのに,単に見つかっていないだけという可能性もあるわけですからね。
つまり「存在する」ということを証明するよりも,「存在しない」ことを証明する方がはるかに困難であるということです。
存在することの証明は,実際に見つければそれで終わりですからね。
まあ,悪魔を実際に見つけることも不可能な気はしますが,そうではなく,方法的に「存在すること」の証明は簡単でも,「存在しないこと」の証明はその方法自体が思いつかないという意味で困難だということです。

このような「ない」ことの証明を,「悪魔の証明」と呼ぶようになったわけですが,よくよく考えると「天使の証明」でも良かったのではないでしょうか。

なんとなく「悪魔の証明」というと,いかにも禍々しい印象から,「困難」や「不可能」という言葉が連想されるため,「天使の証明」ではなく「悪魔の証明」の方がしっくりくるのでしょうね。

さて,ドラマ「リーガルV」の初回で,痴漢の冤罪事件が扱われていましたが,その中で「悪魔の証明」という言葉が出てきました。
痴漢をしていないことの証明は「悪魔の証明」だそうです。
しかしこれは,若干「悪魔の証明」の乱用な気がしますね。
悪魔の証明とは,「存在しない」ということの証明であって,「していない」ということの証明ではないはずです。

そもそも,痴漢をしていないことを証明することは難しいと言いますが,よくよく考えてみてください。

痴漢をされたことの証明も難しくないですか??

痴漢をしていない証明が悪魔の証明であるのなら,痴漢をされたことの証明も悪魔の証明です。
どちらも証明することは困難ですからね。
そうではなく,やはり本来の「存在しない」ことの証明を悪魔の証明と呼ぶべきです。
「した」「していない」の証明ではないのです。

よくドラマの裁判で,「痴漢をしていないことを証明できますか?」と聞きますが,「痴漢をされたことを証明できますか?」は聞いたことがありません。

痴漢の被害者は自分が痴漢されたと主張するだけで証拠の提出を求められることはありませんよね。しかし,なぜ加害者(冤罪であっても)の方は痴漢をしていないと主張しても信じてもらえずに証拠を要求されるのでしょう?

もちろんこれは,被害者を擁護するという立場に立ってのことでしょう。
例えば,「家に泥棒が入りました」と警察に届けて,「泥棒に入られた証拠はありますか?」などと聞かれることなんてありませんよね。
一般的に被害者の供述は根拠もなく信じられるものなのです。

ですが,痴漢の冤罪を考えると,一方的に被害者の供述を信じるだけで良いのか,疑問に感じますね。

スポンサードリンク


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。